機械の頭には根付かない言葉

情報の検閲・編集・改竄・捏造・歪曲・操作によって、消滅することが決定付けられている日本で。

“――世界が狂信に身を任せてしまった時代にはつねにそうであるように、この人間的な人は互いに争いあう狂信者たちの間にあって無力であり、完全に孤立していた。何年ものあいだ、この偉大で謙虚な人文学者は、迫害と貧窮の中でつねに追いたてられながら、しかしつねに自由な心で赤貧を洗うような生活を送っていた。
――そのとき、彼の孤立は英雄的な偉大さにまで高められた。なぜかというと、彼の相手である千軍万馬のカルヴァンと違って、カステリオンはその背後に彼を擁護し支持してくれる凶暴な、密集隊形の、計画的に組織された徒党をもたなかったからである。彼を支持する党派はひとつもなかった。カステリオンの頭上に庇護の手を差しのべようとする諸侯や王や皇帝はひとりもいなかった。彼を敬愛しているわずかばかりの友人でさえ、ひそかに彼を励ますことしかできなかった。
――彼は、ときどき人類が経験するあの恐ろしい精神の暗黒の時代にも曇りのない人間的な瞳を保ち続け、神の栄光や、信仰の美名のもとに行われる殺戮を、その本当の名前で、「人殺し、人殺し、人殺し」と繰り返し叫びたてたのであった。人間のもっとも深い感情を揺り動かされた彼は、これ以上沈黙しているわけにはいかないと、非人間的な行為にたいする己の絶望をただ天に向かって叫んだのであった。孤立無援、たたかっているすべての人々に味方して、あらゆる人々を敵にまわして。あの決定的な瞬間に、自分自身の影以外にはひとりの援軍もなく、動揺することを知らぬ魂の不屈な良心のほかには、なにひとつ身につけていなかった。
――この歴史的な論争の内面的な意味は、その時代的な枠をはるかに越えている。問題になっているのは、それよりもはるかに広汎な超時代的な問題なのである。寛容と不寛容、自由と監視、人間性と狂信、個性と画一、良心と権力。名前はいくらでも付けられるが、結局は私たちのひとりひとりが心のなかで人間性と政治、精神と理法、個人と社会、そのいずれをより重要なものとして選ぶかという問題なのである。
――カルヴァンが本気でカステリオンに答えたことは一度もなかった。彼はカステリオンを黙らせる方が得策だと判断したのだ。カステリオンの著作は引き裂かれ、発禁にされ、焚かれ、没収された。政治的な恐喝に脅かされて、お隣の州は彼にたいする執筆禁止の命令を出した。そして彼がもう反駁することも一般に知らせることもできなくなったと見ると、たちまちカルヴァンの取り巻きたちはカステリオンにたいする中傷攻撃をはじめた。これはもうたたかいなどというものではなく、身を守るすべのない人間にたいする卑劣な暴行でしかなかった。なぜなら、カステリオンは話すことも書くこともできず、彼の原稿は篋底ふかくおさめられているというのに、カルヴァン印刷機と説教壇、講壇と教会会議、国家権力の全機構を独占していて、これを容赦なく駆使したからである。カステリオンはどこへいっても後をつけられ、なにをしゃべっても盗み聞きされ、その手紙はどれも途中でひき抜かれた。
――この途方もない権力の、まったく権力をもたない人間にたいする狙いはほとんどすべて成功した。彼らの組織的な弾圧は、この偉大な人文主義者が当時の人々にあたえていた影響を封殺してしまったばかりでなく、その後多年にわたって彼の死後の名声をも抹殺してしまったのである。著者の死後ずっと経ってからやっと出版されたときには、もうあまりにも遅すぎて彼にふさわしい評判はたたなかったのである。
――その間に、ほかの人たちがカステリオンの思想を採りあげ、最初の指導者があまりにも早く、ほとんど世人の注目をひかないまま敗れさったたたかいを、ちがう名前のまま続けていた。彼の仕事を継承した人たちがセバスチャン・カステリオンの栄誉を手に入れてしまったので、今日になってもなおあらゆる教科書に、ヨーロッパで寛容の精神を説いた最初の人間はヒュームとロックであるなどと誤って書かれている。まるでカステリオンの『異端者論』は書かれたことも出版されたこともなかったかのように。
――歴史は公正である暇をまったく持たない。勝者にだけは眼をそそぐが、敗者はこれを闇のなかに置き去りにしておく。しかし本当は、純粋な信念からおこなわれた努力が無益といわれることはけっしてなく、どんな精神的力闘いもこの宇宙のなかに跡形もなく失われてしまうということはない。うち敗かされた者、まだその時が熟さないのに超時代的な理想をかかげて時代に先んじた人々もまた、敗者としてその使命を果たしたのである。従って私たちは、勝利の記念碑だけしか眼に映らない世間の人たちに、くりかえし次のことをたえまなく思い出させる必要がある。
――人類の本当の英雄というのは、幾百万という墓石とうちひしがれた人々の上にその移ろいやすい帝国を建設した連中のことではなくて、身を守るすべのないままに権力にうち敗かされた人々のことであり、精神の自由のたたかい、この地上における人間的な思想の最後の勝利を目指すたたかいの中で、カルヴァンにうちまかされたカステリオンのような人々のことである。”
ステファン・ツヴァイク『権力とたたかう良心』